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特別寄稿!「男になるんだ〜伝説の俳優・金子正次の生涯〜」を斬る! (1)

いやあ、我輩がここで書いた一連の文章があまりにも評判がよくて、執筆依頼が殺到してもう大変だったのだ。国内にとどまらず海外からもオファーが続々と来て、とてもこちらへ投稿する時間がなかったくらいだ。まあ、それもこれも我輩の才能あってのことだがな。 くれぐれも断っておくが、我輩のここでの文章は無報酬だからな。日本映画界を少しでも活性化させるために、我輩の才能を惜しみなく自己責任においてここで提供しているというわけだ。“マハトマ・ガンジー”的慈愛とでも云おうか。“イスラム聖職者協会”的精神の恩恵とでも云おうか。
それはともかく、ちょっと我輩が目を離している隙に“金子”について語る奴が出てくるとはいい度胸である。
我輩に対する挑戦状か?それとも我輩に対するリスペクトか?
どっちに転んでも我輩のリアクションが欲しいのだな?そうだろ?
構って欲しいんだろ?友達になって欲しいんだろ?我輩は一人でも淋しくなんかないぞ!淋しくなんか・・・。
とにかく、売られたケンカ、半値以下で買わせて頂きます。ケンカは買うが、女子中学生は買わない。どこぞやの映画監督とは違うのだ!
あえて君の用意した舞台に乗って差し上げましょう。俎板のコイヘルペスは貴様だ!舞台は巌流島かと思いきや、愛媛県の津和地島であるか・・・望むところだ!

この愛媛朝日テレビが制作したという「男になるんだ〜伝説の俳優・金子正次の生涯〜」という番組についてだが、その制作の裏側を少し推察してみるか。
まず1点目は、「金子正次」という題材で果して番組が成立するのかという点。先に解答を出すと、YESでありNOである。それはどういうことかというと、少なくとも2002年より前だったら番組の企画としてボツになったであろうということ。なぜか?
はっきり言って知名度がない→ネタとして面白くない→スポンサーがつかない→番組が成立しない→ボツ!それがなぜ番組として成立したか、企画としてGOサインが出たか。そこから検証を始めなければいけない。この問いに対する答えはあっさりと出る。こんなところでテレフォンを使っていたら全く先へ進めない。
そう、皆さんもご承知かと思うが、2002年にワールドカップが・・じゃなくて、2002年に「竜二 Forever」という映画が公開された。このホームページ上で我輩が詳しく解説をしているからここではもう触れないが、この映画がこの番組を作る一つの引鉄になっているということ。「金子正次」という人間を題材に何かを作りたいという人間は、まあ、この業界では少なからずいるであろうということは想像できる。市井の君達には解からないであろうが。しかし、「金子伝説」というものは、もう10年近く前にすでに幕が引かれていた。
金子が書いた5本の脚本のうちの4本目、「獅子王たちの夏」が不運なかたちで公開され、その他大勢の日本映画の中に埋もれていき、金子没後10年以上たってからリバイバルされた「竜二」は、今は亡き中野武蔵野ホールというミニシアターで細々と上映され、何の話題にもなることなくひっそりと終わっていった。恥ずかしいエピソードを付け加えるならば、ちょうどその頃ぐらいから古本屋に「竜二」のパンフレットが出回るようになった。1980年代から1990年代の前半にかけて古本屋ではプレミアが付き、どこを探しても見つからなかった「竜二」のパンフレットをこの1〜2年の間に店頭で3度ほど見掛けた。しかも、二束三文の値段で。この頃が間違いなく「金子伝説」の終幕だった。
これ以上掘り下げていくと明日のニューヨーク取材の飛行機に間に合わなくなるので、これ以上はまた次の機会ということで方向を修正すると、ちょうどこの数年後に絶版になっていた金子の生涯を綴った本「ちりめん三尺ぱらりと散って」が文庫化され、出版された。
今こうして振り返ると、この時が「金子伝説」リボーン、リターン、リメンバーのタイミングだったのかもしれない。
話がかなり逸れてしまったが、「竜二 Forever」のパンフレットにも書いてあるのだが、どうもこの文庫の出版あたりから、この本を映画化しようという話が盛り上がってきたみたいなのだな。我輩としては「金子」の人生を映画化するよりも、金子が書いた残り一つの脚本「盆踊り」を映画化するほうがリアリティーがあるのだが、裏を読んでいくとそこにはヤクザな世界の様々な駆け引きがあるのかもしれない。それが何を指すのかはこの文章の中であまり深くは触れないが、後に触れられれば触れていくので、今はあえて触れない。そして、少なくとも「金子」の人生を映画化するのであれば、それなりに20年近い年月というものは必然であった。このことは本論の中で我輩がはっきり言明しているが、非常にデリケートな問題、つまり金子の遺族と永島暎子とのパワーバランスの問題だな。そこをどう描くか?ここが「金子伝説」の一番の肝なのである。一番苦くて一番おいしいところ。少なくとも本の中ではその部分を曖昧模糊とさせることで、金子の悲劇のヒロイズムに、より強烈にスポットライトを当てていった。しかし、そのスポットライトの光が強ければ強いほど、その裏側の影の色も濃くなるというものである。
そこを描くのか?描かないのか?描くとしたらどのように描くのか?
そのことに関する詳しい言及は本論の中で展開しているのでサラッと流していくが、そのことがあって、当時、どうしても金子のことについて語り尽くせないもどかしさというものは確かにあった。また、敢えてそこを穿ろうという奇特な人間もいなかった。そんな月日の流れの中で、金子という幻想は作り上げられていった。その幻想をより“リアリティーのある高次元の幻想”にしていった急先鋒は、とりもなおさず金子と生前の付き合いがあった関係者であり、映画マスコミであり、金子信奉者(熱狂的「竜二」ファン)であったことは疑いの余地はない。みんなで寄って集っておいしい部分を隠蔽していったのだ。そもそもその大きな要因は“金子の死“というものがあったからなのではあるが。そしていつしか金子のアウトサイドスト―リーは、人々の記憶の奥深くに静かに埋没していった。
しかし、金子という人間にスポットを当てようとしたら、そこに踏み込まざるを得なくなる。別にそこに踏み込まなくても描けるという意見もあるかもしれない。もちろんそういう選択肢もあるが、その部分以外での金子のアウトラインは、生江有二氏がその原作本の中でかなり精密に描き出している。それにとって代わって金子の一生を一つの作品にしようとしたら、もう、そのタブーの扉を開くしかないではないか。
そうして「竜二 Forever」の中で、そのパンドラの箱は少しだけ開かれた。まあ、いろいろと制約の多い開き方ではあったが、逆に考えれば、ただこれだけのことを描くためにこの20年近くの歳月が必要であったかと思うと複雑な想いもある。
そんなこんなで、2002年に「竜二 Forever」が公開された。そして、2004年に「男になるんだ〜伝説の俳優・金子正次の生涯〜」というテレビ番組が放送されることになった。

次頁(2ページ)に続く

2004-06-30

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